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垂水・明石近辺の歴史探訪 
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だぼ又は、だぼさくは、明石・垂水あたりでは、馬鹿者のことを言う。
昔 明石藩家老 織田伊織は、口癖が悪く、気に入らないと殺すぞと言っていたらしい。
伊織に男の子が生まれたがこの子が、ちえ遅れで跡取りにならない。
その子の名が織田保 家来たちは、馬鹿とか言えないので、おだぼさんと言った。
明治維新の時 織田左衛門がこの事知らず織田保と改名した。
そこでまたおだぼさんと言われるようになった。 明石名勝古事談より。
これが、だぼの語源らしい。
馬鹿は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF
阿呆は、
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%EC%E4%B9%E2/detail.html?LINK=1&kind=epedia

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亀の水(月照寺の清水)
明石天文科学館の西、柿ノ本神社・月照寺の西参道の入り口にある明石・亀の水は、人丸山から涌き出る霊泉が亀の口から流れ出ています。播磨三名水・播磨十水のひとつで、長寿の水と言われています。手水鉢は常陸国の役人飯塚宣政が1719年(享保4年)に寄進したものです.









行ったときは、だれもいなかった。
もう少し写真とろうとしたら、おばちゃんが
からのペットボトル20本ぐらいもって水を
汲みに着たので退散。
松平日向守供養石碑
山陽バス「霞ヶ丘5丁目」バス停、南へ約10m 東側
子供のころ、垂水のおばちゃん<親父の姉 尼崎さん>が畑をかりて、
いちごや野菜を作っていたのをおもいだします。
今は、住宅ばかりになりました、畑は、私の姉の嫁ぎさきの
楳渓さんだけです。
おじいさんが亡くなったのでお婆さんが、すこしだけ、野菜をつくってます。
霞ヶ丘の新田ももうすぐなくなるのでしょう。
松平日向守供養石碑ほかにも、漆山、生田にもあります。
垂水の日向と言う地名もこの人からきています。







伊川谷の生田の供養搭

護国寺密蔵院 油掛地蔵 明石市船上町3-8
250号線から西新町にぬける道 商店街より一本西の道に
大観亭<明石市西新町3-15-17 078-923-2009>と言う中華屋さんがある。
ここも安くてボリュウムがある。出かけた時は、よってみて。







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