忍者ブログ
垂水・明石近辺の歴史探訪 
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

配置図から考えると狩場川の所でやられてる。いまの妙法寺川
狩場と両馬どこで変ったんやろう。
近所のおばあちゃんが世話をされてました。明石にもあると言うと
そんなんしらん、ただここにあるから祀っている。とのことでした。








PR

忠度の、胴塚は、長田にもあります。
忠度は、敦盛と一緒にいたから長田説か
平 経正の馬塚が、明石にあります。吉川英治の新平家物語11巻に
平 経正が明石の大蔵まできて自決したとあります。
このことから明石の忠度塚は、じつは、経正と間違われて伝えられたのでは、







平忠度の長田区駒ヶ林4丁目5番にある腕塚です。
どちらが本物か?またとちらも偽物。判らないです。
古書には、人気ものだったからいろんな所に供養搭が作られたとあります。
それが墓になったのでは。
両馬川が妙法寺川なら長田の説が正しくなる。
西門の大将として一の谷の守備に当たっていたのだから長田か
それか体型のよく似た平家武将が間違えられて明石でやられたか。
配置図からすると西門が塩屋だから西に逃げる明石か


















平忠度の腕塚・胴塚は、長田区にもがある。






一の谷の合戦に敗れた平家の名将、平忠度が西へ落ちる途中、
源氏の武将岡部六弥太忠澄に見つかった。
忠澄は、源氏の者と思ったが、忠度がお歯黒を付けていたので平家とばれ、
忠澄と組み伏せ、首を討ち取ろうとしたが、
逆に忠澄配下の雑兵に右腕を切り落とされ、返り討ちに遭い死ぬ。
昔は、ここに小川が流れていたらしい。









カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[12/05 こぐま]
[11/11 糾弾された、盗作疑惑]
[07/29 名無しの親切さん]
[06/05 塩森継紀]
[04/06 mamadeer]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
シロブタ
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
忍者ブログ [PR]