垂水・明石近辺の歴史探訪
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高塚山の頂上のあたりに後期古墳時代の横穴式石室の古墳がありました。
神和台にもありましたが、開発が遅れるのでだまって潰しました。
神和台の古墳は、2から3ありました。そのあたりを開墾していたら、
金の経筒がでてきたそうです。京都の博物館にあると
聞きましたがどこか知りません。
子供の頃 その山に登って、みたら大きい石がごろごろしていました。
柚耶の里の裏山あたりか。狐塚と呼んでいました。
高塚山の古墳の近くに蛇神社がありました。
その手前に盗掘された穴があったのは、
覚えてますが、ほかは、山みたいで解りませんでした。
開発の波にのり、潰されましたが、その前に発掘調査がおこなわれ、
多くの石室が発見されました。なかには、石に絵を描いたものもありました。
昔の神戸市だと一部を保管し公園でもした
<舞子のきつね塚 大歳山古墳>
いまの神戸市は、震災でお金ないもん。あかんは。
石室は、西区の神戸市埋蔵文化財センターの前に再現されてます。
所在地 垂水区名谷町中山の奥
昭和49年ごろ
昔の記憶と昭和49年の写真で位置確認
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