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垂水・明石近辺の歴史探訪 
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新平家物語の中に通盛の妻・小宰相を、教経は駄五六に通盛の詰める
明泉寺まで案内させることに。駄五六は、帰りに逃げ出し山のなかで
鷲尾三郎ら義経の軍団に見つかりともに道案内をする。
東山の古明泉寺大日丘の地にあったが
寿永三年(1184)二月七日明泉寺合戦で
平盛俊が陣をおいたたため戦火で焼けた。
また十六歳の知章が父知盛を助けて逃れさせ、
討ち死にした場所が近くあったのでこの寺に持ってきてまっている。









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無題
以前神戸の神戸青年仏教徒会(神戸JB)の主催する、仏教塾に通わせていただいていました。非常に有意義で貴重な時間を過ごさせていただきました。そのときの釈迦の生涯を教えていただいた、
冨士玄峰先生の授業で佐々井秀嶺さんのお話もうかがい、先生の語る情熱のこもったインドのお話に
感動いたしました。でも冨士先生の授業もあっけなく終わってしまいました。それは冨士先生が自分の言葉、自分で作ったと語っていた言葉が、他の仏教者が作った言葉だったからです。それを受講している生徒に糾弾され、先生はやめられてしまったということです。わたしもその詳細を聞いたとき非常に残念な気持ちになりました
糾弾された、盗作疑惑 2010/11/11(Thu)07:32:44 編集
無題
以前こちらの冨士玄峰住職の御法談をお聞きしました。
お話の上手な御住職ですばらしい御法談でした。
わたしも御法談が好きで、色々と聴きに行かせて頂いています。
住職の御法談の中で住職の作られた和歌が、住職より披露されました。
「御仏の御名を称えるわが声はわが声ながら、尊かりけり」
(みほとけのみなをとなえるわがこえはわがこえながらとおとかりけり)
その後お釈迦さまの名前をみんなで三回おとなえしました。
すばらしい和歌で感動し、帰り道何回も自分で住職の作られたこのすばらしい和歌をおとなえしながら帰り道を歩いて帰りました。木々の色や草の色までいつもと違って見える帰り道でした。
帰って早速ネットで検索しました。

すると住職が御自分で作られたと言われていたにも関わらず、
昔から浄土宗や、浄土真宗などで有名な和歌らしく、龍谷大学のHPにも掲載されていました。

その後私は、一気に方の力が抜け、涙が出てきました。凄く残念でした。
名無しの親切さん 2009/07/29(Wed)07:27:29 編集
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