垂水・明石近辺の歴史探訪
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平清盛は、兵庫に都を移して、中国と貿易をしようと考えていました。
港をつくるのに会下山の南にあった塩槌山を切りくずして、
その土砂を海へ運ぶことになりました
潮の流れが速く工事がうまくいかない。清盛は陰陽博士に占わせてみました。
島を築くには、海中の竜神の怒りをしずめなくてはならない。
そのためには、三十人の人柱を、海にしずめて竜神に供えるとよいだろう。と言われ
清盛は、生田に関所を設けて、人柱にするために旅人をつかまえ始めました。
清盛の側近少年、讃岐国の武将の子、松王丸(まつおうまる)という十七歳の少年が、
つかまえられた人たちの悲しみを見かねて、三十人の人柱の身代わりになりましょうと
言った。
松王丸は、石の櫃に入れられ、白馬の背に乗せられて港へと運ばれましたそして、
千人の僧侶の、読経(どきょう)する声がひびく中で、海の中へとしずんでいった
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