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垂水・明石近辺の歴史探訪 
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相生の松は根は一つにして、幹が雌雄二つに分かれる珍しい松。
一つの幹は海辺に生える『黒松』。もう片方は山に生える『赤松』。
種類も違うし、植生地も違う、生まれた環境などは関係なく縁のある人との
『出会い』を大切にし、相生の松のようにかわらぬ操を
夫婦妹背のためしとするもので、夫婦愛と長寿の願望を表してます。
松葉は枯れて落ちても離れないため、境内に落ちている松葉を持ち帰ると、
縁結びのご利益があるとされています。  高砂神社ホームページより

謡曲 高砂 
「高砂や此(この)浦船に帆をあげて 此浦船に帆を揚げて
 月諸共に出で汐(しお)の 波の淡路の島陰や 
遠く鳴尾の沖すぎて
早住の江に着きにけり 早住の江に着きにけり」
物語は阿蘇の神主友成が上京の途中に高砂の浦に立ち寄った際、
相生の松の下を掃除していた老翁と老婆に相生の松について尋ねると
この松だと、言います。
高砂の松と住江<大阪市住之江区>の松とは、
離れているのに、なぜ相生の松と言うのかと聞くと
老翁は高砂で、老婆は住江、遠く離れて住んでいても
夫婦の心は通い合い、非情の松であっても相生の名がある。
まして人間の夫婦においても松と共に相生の夫婦となるもの
松のめでたさ、御世のありがたさを教えます。
このような事から、結婚式の結納に高砂、老夫婦人形
「夫婦の堅い絆や長寿を願うもの」としてあります。
ちなみにうちのは、コシノ綾子のやつでした。














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菅原道真が九州にながされたとき、海路で行っていたがへ海が荒れ一時須磨に上陸、松の木の下に網を巻き、その上に休息させた。後に彼が天満天神として祭られるようになったとき、
そのことにちなんでここに彼を祭神とする天神社が979年(天元2年)に創建されたと伝えられている。
ここから明石までは、陸路で行く明石の駅の役人が塩屋の浜まで迎えにきた
それにちなんで菅公橋とよんでいる橋がある。2号線の塩屋駅の東








名谷町押戸 七曲の横
ここに、方見堂も移転されている。





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