垂水・明石近辺の歴史探訪
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平清盛の弟経盛の子
兄は、琵琶の名手、経正 明石で自害に。
弟は、笛の名手敦盛 須磨で討ち死に16歳
三兄弟とも源平一の谷の合戦で戦死しています。
この合戦で鵯越えの守備についていた経俊だったが戦利あらず、
長田の森を経て西出の浜へと落ち延びてきた。
しかし、源範頼の郎党・名和太郎に追い迫られ、
勇ましくも組み打ちとなったが当地で落命した。
わずか18歳であった。
この五輪塔は経俊の霊を慰めるため
南北朝時代(1300年代)に建てられたものだそうです。
ここにもビリケンさん が祀られております
このビリケンさんは、平成17年に本殿の裏から発見さたばかりです。
空洞の体内に
永政天大、昭和5年10月5日、ピリケン菩薩
と書かれた小石が入っており、
おそらくその頃のものと推測されています。
高田屋嘉兵衛が海上交通安全を祈って奉納した、
一対の石灯篭もあります。
兄は、琵琶の名手、経正 明石で自害に。
弟は、笛の名手敦盛 須磨で討ち死に16歳
三兄弟とも源平一の谷の合戦で戦死しています。
この合戦で鵯越えの守備についていた経俊だったが戦利あらず、
長田の森を経て西出の浜へと落ち延びてきた。
しかし、源範頼の郎党・名和太郎に追い迫られ、
勇ましくも組み打ちとなったが当地で落命した。
わずか18歳であった。
この五輪塔は経俊の霊を慰めるため
南北朝時代(1300年代)に建てられたものだそうです。
ここにもビリケンさん が祀られております
このビリケンさんは、平成17年に本殿の裏から発見さたばかりです。
空洞の体内に
永政天大、昭和5年10月5日、ピリケン菩薩
と書かれた小石が入っており、
おそらくその頃のものと推測されています。
高田屋嘉兵衛が海上交通安全を祈って奉納した、
一対の石灯篭もあります。
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