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垂水・明石近辺の歴史探訪 
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毘沙門塚古墳
舞子稜の西の峰に10数基の群集墳があったそうです。
今は、造成され公園にながのこるぐらいです。
この公園に行く途中の駐車場のわきに、古墳らしきものがありました。
舞子台1~2丁目のあたり。
毘沙門塚古墳の西の山、西舞子の墓地の裏手の大歳山古墳に続きます。








 

舞子墓園内に残るこの石窟については、宝暦12年に書かれた、
「播磨鑑」に「石窟 在多聞村 号高塚 又陣屋共云 其製畳石如洞
俗伝云 昔日火雨降是設立 按 往古之民家為住居」とある。
昔,火の雨が降る時期があり、それをよけるのに石の家をつくった。
ハレー彗星でも近ずき流れ星が飛んできたのでしょうか
播磨名所巡覧図会には、石の家について「是れ皆いにしえの墓なり」
と書れている。古墳時代に造られた横穴式石室古墳で
上の土が、
流れ石室が石の家にたのでしょう。






大歳山遺跡が発見されたのは、大正11年(1922)であった。
発見者は、「明石原人」を発見した直良信夫(なおらのぶお)氏である。
この時は、単に、縄文時代の遺跡であると考えられていたが、
1961(昭和36)年からの科学的な調査が進むにつれ、
2万年前の旧石器も発見され、また、弥生時代後期の土器、
石器とともに、6戸ほどの弥生住居跡が発掘された。
さらに古墳時代後期(6世紀)の小型古墳が発見された
神戸市文書館より











古くなって、潰されていく物が多い。
塩屋は、淡路島を見渡せる絶景の地で温暖な所だったので、
旧グッゲンハイム邸など多くの異人館が建てられ、
  外国人たちが移り住みました。 広い敷地に瀟洒(しょうしゃ)な造りの洋館が建ち並びエキゾチックなムードを漂わせています
火力発電所や鈴木商店の家などもあった。























 

 

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