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1180年に平清盛が、福原へ遷都しようとした際に、 運河の開鑿を行おうとした。 ある夜、童子が平清盛の枕元に現れて、 「兵庫の海中に霊仏があるのでに探し出すように」との夢告があり、 海に網を下ろしたところ、 海中から黄金の薬師如来像が出現した。 平清盛はその霊験に感心し、 「これぞ当地の守護仏ならん。永く、地を定め、 一宇を起こして安置し祈願せん。」と言い、 当地にお寺を建立したのが 金光寺の草創とされる。
能福寺は清盛出家(浄海)の寺です。 一ノ谷の合戦で能福寺は、焼かれ清盛墓所も潰されされました。 百会年後の弘安九年(一二八六)二月、平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ 時の執権北条貞時が、その近くに一基の石塔を建て、 清盛公の霊を弔った、と能福寺の古文書にあります。 境内には、清盛の供養塔、忠快法印の供養塔、兵庫大仏、 浜田彦蔵による英文碑、北風正造の碑、滝善三郎の碑など、 謂われのある石碑、石塔、建造物があります。