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垂水・明石近辺の歴史探訪 
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熊谷次郎直実平敦盛とはよく知っているとおもいます。
敦盛は忠度とともに駒ヶ林の港にいる平家の船に乗ろうと
山から降りてきます。忠度とはぐれ須磨の浜を馬で泳いで
見方の船の方へいこうとしますが、行けません。
そこで熊谷次郎直実に見つかってしまいます。敦盛は、名を言いません。
首をはねられその首を源氏の陣屋におくり誰か確認させました。
平 重衡が生け捕りされていたのですぐ敦盛と確認。
その首を淡路に逃げていった平家のもとえかえした。
青葉の笛・えびら・鎧などは、須磨寺の宝物館で見れます。









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配置図から考えると狩場川の所でやられてる。いまの妙法寺川
狩場と両馬どこで変ったんやろう。
近所のおばあちゃんが世話をされてました。明石にもあると言うと
そんなんしらん、ただここにあるから祀っている。とのことでした。








忠度の、胴塚は、長田にもあります。
忠度は、敦盛と一緒にいたから長田説か
平 経正の馬塚が、明石にあります。吉川英治の新平家物語11巻に
平 経正が明石の大蔵まできて自決したとあります。
このことから明石の忠度塚は、じつは、経正と間違われて伝えられたのでは、







平忠度の長田区駒ヶ林4丁目5番にある腕塚です。
どちらが本物か?またとちらも偽物。判らないです。
古書には、人気ものだったからいろんな所に供養搭が作られたとあります。
それが墓になったのでは。
両馬川が妙法寺川なら長田の説が正しくなる。
西門の大将として一の谷の守備に当たっていたのだから長田か
それか体型のよく似た平家武将が間違えられて明石でやられたか。
配置図からすると西門が塩屋だから西に逃げる明石か


















平忠度の腕塚・胴塚は、長田区にもがある。






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